このゲームってゲームになってないと思うんですけどその理由について
センチュリースパイスロード
先ず手札は非公開だけどだれが何持ってるかは明白
所有資源は公開
達成目標も公開
手札ピックも公開
上記から誰がどの目標をいつ達成可能かは自明
ゲーム中のある段階において誰が何点獲得できるってのが決定的なわけでそんなもん遊ぶ気にならんのだけど
上家がn手番後にあれが達成できる、下家がm手番後にあれが達成できるっていうのが決定してるわけでこんなもん完全にやる気にならんのだけどそんなことないのかな
このゲームってゲームになってないと思うんですけどその理由について
センチュリースパイスロード
先ず手札は非公開だけどだれが何持ってるかは明白
所有資源は公開
達成目標も公開
手札ピックも公開
上記から誰がどの目標をいつ達成可能かは自明
ゲーム中のある段階において誰が何点獲得できるってのが決定的なわけでそんなもん遊ぶ気にならんのだけど
上家がn手番後にあれが達成できる、下家がm手番後にあれが達成できるっていうのが決定してるわけでこんなもん完全にやる気にならんのだけどそんなことないのかな
長時間ゲームに多いんだけど、セットアップがランダムだったりVPPだったりの場合初回ルールってのが用意されていることがあるのだけど、あれの存在意義がちょっとよくわからんのだよね
皆さんどうせ一回だけで二度とやらないのにさ、だから別にどうなろうがどうでもいいと思うのだけどなぜか最初は初回ルールでとか拡張は無しでとか言うんだよね
別に初回ルールでやろうがどうしようが二度とやらないのにね
大体こういうこと言ってくる人って奇跡的に二回目やるとしても数年後だからなんも覚えてないって言ってくるんだよね
そんでまた初回ルールでやりたがるわけでさ、そういうわけで永久に通常ルールで遊べる日は来ないわけで
別に初回だけど通常ルールで遊んでみて、さっぱりだろうが楽しめようがどうせ二回目やらないんだからどうでもいいと思うのだけど
最近特に考えてるのがプレイ人数の件なんですけど、例えばプエルトリコは4人以外やらなくてもいいんじゃないかと思っているんですがそんなことよりも遊びたいゲーム優先させるべきなんじゃないかなと
このゲーム興味あるけどベスト人数じゃないからまた今度ねって言ってられるほど人生は長くないんじゃないかなと
そんなこと言ってるといつまでたっても遊べないんじゃないかなと思うんですよね
昔は3人ならこれで4人ならアレでって思ってたんですけど、どうせ皆リプレイしないで一回だけ遊んだって言う実績が欲しいだけだから別にベストだろうがどうでもいいんですよね
だったら初回ルールなんて無視でいきなり拡張とかアリでやればいいのにそういうのはダメらしいんだよな
結論:基本的にアホだと思う
その理由について述べる前に一応確認事項として
プレ値って言うのは定価から著しく乖離した価格のことを指してまして、個人的な感覚で言うと2割高いともうプレ値かなって感じです
たとえ中古とは言え定価程度ならまあ許容と考えています
その理由として昨今のゲームは繰り返し遊ばれることは極稀で中古市場に出回るものは数回遊ばれた程度のものでほぼ新品と同様と言えるからです
プレ値で買うことについて、それほどの価値を提供できるようなものが存在しえない
ボードゲームって言うものはそもそも簡素であるべきだと考えてまして、豪華コンポーネントってのは例外中の例外で本来汎用的な駒、カード、ダイスなどを用いるべきもののはずで、そういった価値の低いものに対してルールと言うものを付与すると非常に価値が高くなるって言うのが理想的だから
例えば高価なものと言うのは希少だから高価なわけで、希少の理由は色々あって地球上に存在が稀、製造するのに特別な設備が必要など理由は様々ですが、希少だから値段も上がるわけで、ボードゲームと言うのは本来希少になりえない存在だと思っているから
そこまで特別優れているものが存在しえない、お金を支払うべき対象が物に対してではなくルールに対して支払われるべきであるから
プレ値で買うなら他のものを買うべき
ボードゲームなんて遊ぶのがメインで買うのなんてのは二の次であるべきな気がするのだが
これだけ世に溢れているボードゲームを必要以上に買わせたい気持ちがわからん
この活動も連続的な変化なので具体的にいつ頃と特定することは困難ですが、どうでしょうかここ数年の間って感じかな
昔は新作情報なんてのは能動的な情報収集を行わないと目にしなかったと思うのだけど最近はやけに目立つ形でしかもこれでもかと視覚、聴覚に入ってくるので煩わしい
その情報の80%は不要だから辟易するわけで
どうにかしてクニツィアとクラマーの情報だけ入手することはできないだろうか
寄せられたボードゲームのなかから一部ゲームについて「絶対に遊んどけ」と言う観点から思うところを
競りゲームの代表みたいに言われがちですけど、モダンアートって手札のプレイタイミングを見極めるゲームで競りって主要素じゃなくて副要素なんだよね
名作で間違いないのだけどこれじゃないかなって感じかな
たぶんゲーム製作者なんだろうけど微妙なポスト見かけたのでそれについて
引用すると、なんでも
ゆる募。ボードゲーマーの皆さんのお力貸してください。 ラウンド制じゃないワカプレを採用しているゲームをご存知の方いらっしゃったら教えてください! それ〇〇にならんか?みたいな指摘などがあったら是非ご意見ください。 新作ゲームで考えているシステムが成り立つか検討してます。
だそうです
これの微妙な点について
似たシステムが有る/無いそれぞれの場合について考えてみる
無い
仮に似たシステムが無いとしてもこれは悪魔の証明と言うヤツで立証できない
無いものを無いと言い切るのは無理
有る
返信みてても〇〇が似てるとかそんなのあるんですけど、仮に〇〇が似てるとしましょうよ
そんでそれがパクりかどうかってどうやって判定するのか
コイツが「〇〇は全然ちげーよ、似ても似つかねー」って思ったとしてそれがパクりにならない保証なんて無いし「〇〇はそっくりだ」って思ったとしても全然パクりでもなんでもなかったりするかもね
ってか、このポスト自体が制作ゲームの宣伝目的なのかもねってのはあるわな
パクり判定でそれなりに拡散させておいてから実際のゲームを売りつけるって段取りなのかもね
結局身も蓋も無いこと言うと、とーしろーが思いつくようなもんは所詮たかがしれてるわけでさ、とっくに誰かが作ってるんじゃねーの
昨今はボードゲーム界隈も日々新作の紹介に躍起になっている様相ですが、しかしスゴイ進歩ですよね
今では毎日新作を目にするようになっていまして、それだけリリースされているということなんでしょうが
ただ自分の中で「新作」と言うことでは購入対象にしないように心がけているところがありまして、どれだけツマラナイゲームに対しても「新作」と言うのは有効というところがあるかな
購入対象にしてもいいようなゲームの判断基準の一つに数年、2,3年後にも高評価として残っているようなゲームをしたいなという希望がありまして、購入は当然として遊ぶタイトルもそのような良いゲームばかり遊びたいなみたないところがありますね
「これ発売されたばかりの新作なんだ」って言われてもふーんって感じなんだけど
人々の心の奥に発売されると言うことは良いゲームなんだろうねって言う思い込みがあるからなんじゃないのかな
1990年代ならそうかもだけど、2024年現在においては発売されたからと言って良いゲームとは言えないんだよね
ボードゲーム遊ぶのは好きなのだけど、ボードゲームカフェってのに行く気になれないんですよね
結局たいして遊びたくもないゲームをやることになってさらにお金を支払うことになるからだと思うのだけど
本当にやりたいゲームだけ遊べる環境に対してならもう少しお金払ってもいいような気がしますが
もし希望ゲームのみ遊べると仮定した場合5,000円くらいなら払えるんだけど
で、平日4人で20,000円*22、休日8人で40,000円*8とすると440,000+320,000で760,000ってスゴイ
ボードゲームカフェやろうかな
ボードゲームの競技性について考えているんですけど、ここで言ってる競技性っていうのは真剣勝負に耐えられるかどうかみたいな話でして
そのゲームに対して適正が高い人が勝利する度合いとかそんなことが言いたいとして
例えば4人プレイゲームで各プレイヤーの適正が全く同じと仮定した場合勝率は1/4で25%だけど、そのうち一人が圧倒的適正を有している神様だとしたら勝率100%までもっていけるみたいなこと
でも、現実的に4人プレイゲームで勝率100%ってのはちょっとあり得ない感じしますよね
プエルトリコで勝率100%って相当あり得ない気がするので
4人プレイゲームで勝率50%ってのも相当な数字な気がします、記録とか取ったことないからあくまで感想ですが
あとこれだけ頻繁にリリースされているボードゲーム全てが高い競技性を有しているとは思えないんだよね、「お金戦略が強い」みたいなのとか邪魔されなかった人が勝つとか
その人の適正なんかよりも手番順だったりの方が勝利には重要だったりすると思うんだよね
最近の多人数ソロプレイゲームだとそのゲームで高得点が見込める戦略取ってうまくいった人が勝つみたいなのとかを真剣にやる気になれないんだけど
それで10分とか考えられても参るから、そんな競技性の低いたかがボードゲームなんでそこまで無駄に時間使うことないんじゃないかなと言うのが主張です
早く打ちましょう
世の中のみんなは決して旧作に興味ないわけじゃなくて
そんなぼっさいゲームの存在をイチイチ時間費やして調べてわざわざ買う人たちがそもそも極少数しか存在しないからに決まってる
そんでそれらの人たちに行き渡ったらあとは売れ残るのみってだけ
売れない原因ってのは誰も知らないってこと
存在を知って欲しがってる人達に行き渡っただけ
だから企業は巨額の広告宣伝に予算を割いてるし、広告宣伝を請け負う人たちが存在するわけでさ
世の売れてるものってのが一体どれだけ広告宣伝に予算割り当ててるか知らないのかね