長考とは果たして何なのかと、その対策について考えてみます
長考とは
ボードゲームで自分の行動を決めるために過剰な時間を要すること
長考はボードゲームを遊ぶ際に一切不要で、無駄で、他プレイヤーに対して迷惑でしかない行為であり、百害あって一利なしの行為の最たるものだと言える
にもかかわらずこの世には長考がはびこっている
なぜそんなものが存在するのか考えてみます
全く不要であるはずの長考と言う行為が現実に起こっているということは、長考するための理由がきっとあるはず
ということで、その理由について考えてみます
真っ先に思いつくのが宗教儀式としての長考
長考教を信仰している人たちが行う宗教儀式が長考だと考えると全ての謎が解けます
長考教の信者は長考することが人生の目的であり生きる意味であると考えられます
これは、ボードゲームで長考する必要がないことからも容易に推測できます
もちろん言うまでもなくボードゲームするよりもはるかに重要なのが長考
でなければ毎回長考するなんてありえません
長考教の神に対する信仰の深さを表すために長考しているとしか考えられない
そして、長考教の信者は長考できる機会があれば必ず長考します
ボードゲームに限らず長考します
どんな些細なことでも長考します
敬謙な信者ほど長考によって長考教の徳を積むことを怠りません
長考教の信者は無駄で迷惑でしかない長考をあたりまえのように繰り返します
長考教に対する信仰心がない一般人にとって長考が理解不能であるところからもこの考察が正しいと推測できます
ということで、無価値な長考する理由は宗教上の理由以外考えられません
そして、長考が宗教儀式だとすると長考を防ぐ手立ては存在しません
長考を防ぐ手段について多数の人たちが日夜様々研究、発表されていますが、どれも長考を解決するには至りません、非常に残念です
例えば長考に対して罰金を科すや、勝利点、資源の支払いを求めるなどのペナルティは意味をなしませんし、もちろん時間制限を設けても無意味です
長考教の信者にとって長考することは人生の目的であり生きる意味であるので金銭や勝利点を差し出すことなど意に介さない
そんなことよりも長考することによって長考教の徳を積むことの方がはるかに重要
何より重要なのが長考
とにかく長考
長考するぞー、長考するぞー
ってことですね
長考という修行を重ねることで長考教の神に近づけると信じているので、長考教の呪縛から解き放たれる以外の解決策はありません
長考教の信者に対して、いくら長考は無意味で無駄で迷惑だと説得しても全く効果ありません
なぜなら長考教の信者にとって長考は神に近づく尊い神聖な行為なのだから
と、いうことで長考する人と同卓した場合は長考教の信者の宗教儀式に付き合わされていると諦めるしかないですね