2016年11月10日木曜日

背水の陣について

背水の陣ってそれなりに見かける表現なのだけど、この表現の使い方が微妙に間違っているんじゃないかなって言うかそう思うことが多いのだけど
そもそも背水の陣をしいた韓信の目論見としては退路を断って無茶しようってわけでもなんでもなくて背水することによって得られる利点が多い、有効だと判断したからなんだよね
ここは一発背水でいったほうがいいんじゃね?ってことなわけでさ
だから崖っぷちに追い込んで奮い立たせるとかそんな感じではないのだけど、日本人っていうのはとにかく根性とか精神論が好きな人がマジョリティーを握っているので、そういうちょっと頭のよろしくないのだけどなぜか地位や名誉を多少得られた方達に気に入られたいために素晴らしい韓信の背水の陣を自分たちのいいように捻じ曲げて悦に入っているとしか思えないよな
現在一般的に用いられる用法としては逃げ場がないような状況に追い込んで無茶するって言うようなことを背水の陣って表現することが多いような気がするのだけど、それって要は怠慢、無能の現れなだけなんだけど
策もなしに逃げ場がない状況なんてものに陥るって言うのは管理側の怠慢、無能の確固たる証拠とでも言いましょうか、背水の陣しいたからにはやっぱり結果を出さないとダメだよね
背水の陣しいたけどやっぱりダメだったとかありえない、ちょっと理論的におかしいということなんだけど
結果を伴わない背水の陣があり得ないとでも言おうか
まあ安易に背水の陣とか言っちゃうって言うことはとりあえず無茶とか気合とか根性論とか振りかざしたいだけなんだろうなってことで
なんて言うかもっとも間違っている例は
「背水の陣でもしてがんばれ」とかかな

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